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「本を選ぶ」ライブラリ−・アド・サ−ビス発行)



山田忠雄先生のこと
(NO.233 04年10月)

 出版社を作ることになった。小さな有限会社だが、最近あまりはやらない「志」も少しは持ちながら出版活動にはげみたいと、直前に迫った創業の日を心待ちにしている。
 今年3月まで勤務した出版社は、辞書と教科書を生業とする老舗だが、30余年の在社中私は、学習市場に一切かかわることなく、マイペ−スでいろいろな分野の図書を担当してきた。採算の面でとても社に貢献してきたとは言いがたいが、著者開拓をおもな目的とするPR誌編集、「辞書」「ことば」周辺の企画展開、幼児もの、新書・選書、数は少ないが楽しい豪華本作り、周年企画でたまたま担当した復刻本のおもしろさなど、さまざまな経験をすることができた。
 今回は、印象に残る一人の著者とのおつきあいについて、一端をご紹介したいと思う。
 山田忠雄先生(1916−1996)は、独創的な語釈で国民的人気のある、ご存知『新明解国語辞典』の編集主幹である。1989年の秋、PR誌の特集『新明解 第4版』のインタビュ−のために、当時まだ大学院を出たばかりの武藤康史氏(現評論家・辞書史研究者)とともに西荻窪のご自宅に伺った。早すぎた時間を近くの公園で過ごし、約束の時間ぴったりにお伺いすると、「おう、来たか。上がってくれ」とほっとするお返事。先生自ら入れてくださったお茶と和菓子の味を今でも思い出す。インタビュ−は盛り上がった。
 以来、先生の喜寿のお祝いに合わせて編集を担当した『壽蔵録』を皮切りに、先生のご病気、そしてご逝去にため編集途中で、ご子息明雄先生に校正と「あとがき」のご執筆をお願いした『私の語誌1 他山の石』『同2 私のこだわり』『同3 一介の』の3部作、その後『新明解』の語釈の個性を際立たせようと企画した『クイズ新明解国語辞典』『同 続編』(いずれも武藤康史編)、『明解国語辞典』復刻版、昭和18年刊行の『明解国語辞典』が曲折を経て『三省堂国語辞典』『新明解国語辞典』に分かれ今日に至る歴史を、故見坊豪紀先生はじめ当事者インタビュ−を中心に構成した『明解物語』(柴田武監修・武藤康史編)まで、振り返ってみれば12年間にわたり編集にかかわったことになる。
 忠雄先生は、貴族院議員を務められた国語学者山田孝雄先生のご長男で、次男は俊雄先生、三男は英雄先生という学者一家のお生まれ。常々「辞書の編集は文明批評」と話され、『本邦辞書史論叢』『近代国語辞書の歩み 上・下』という膨大な辞書史の傑作を残された。見せかけの権威と権力を嫌い、内に己自身を恃む気骨をもちながら、現場にはどこまでもやさしく、ご自宅の卓球場は、編集者たちの交流の場となっていた。
 (『新明解』の個性的−中には独創的とも言える−語釈については『明解物語』を参照いただきたい)
 先生の「志」を肝に銘じながら新しい仕事に励みたいと思う。ちなみに新会社で隔月刊誌『myb』の刊行を予定している。
                            (伊藤雅昭・みやび出版)
 

伊藤雅昭が
最近発表した文

図書目録を作る
(NO.234 04年11月)

 1975年から92年まで、老舗出版社の図書目録を担当した。今のようにネットで即
検索できる時代と違って、読者にとって本探しには欠かせない存在だったと思う。
 作る側にとっても神経を使う作業だった。70年代は、さすがに活字組版は少なくな
っていたが、手組写植の時代で、電算写植が登場したのは80年代に入ってからだっ
たと記憶する。とにかく時間と手間がかかった。
 84年に、全面改訂のため電算写植に切り替えたが、その際使ったエネルギ−は、
今思うと(質の問題も含め)通常の単行本を数冊作る作業量に等しい。千点を超す図
書を、時代に対応した分野に配列し直し、書名ごとに、著者名(編者名)・書名・判型・
ペ−ジ数・定価・ISBNコ−ドの順に記したあと、約100字の解説文を書く、あるいは
書き直す。品切れの書名を巻末にまとめる(それも、絶版と当面の品切れに振り分け
る)。
 あとは索引。
 現在の索引作成技術はすばらしいと思わざるを得ない。図書目録を担当した最初の
年、初めて書名索引と著者名索引を付けた。読者の便を図ったつもりで意気揚々とし
ていたら、先輩からどなりつけられた。著者名の「読み」が何人か間違っていたのだ。
(例)「恒内−つねうち? かいとう○」「実方−じつかた? さねかた○」等々。ことほ
どさように人名の読み方はむずかしい。いくつかの誤植も発見されて、結局断裁・刷り
直しの憂き目にあった。
 電算改訂時は、当時最先端の業者を使ったにもかかわらず、化け字や、何でこうな
るのといった原因不明の事故に悩まされた。目録にとって、索引は鬼門だなとつくづく
思った。ここ数年、いくつかの単行本に索引を付けたが、ほぼ3日でミスもなく校了に
なっているのが不思議なくらいだ。デジタル技術の恩恵というしかない。
 でも、手作りの図書目録を担当したことへの愛着と感謝の思いは少なからずある。ま
ず各々の本の歴史(寿命と言ってもいい)が押えられる、ジャンル分けのコツが身につ
く、図書の一つ一つを実物に当たって解説文を書く(新刊に限られるが)ことにより、短
文を書く要領が身につく、年度版なので、おぼろげながら時々の流行がつかめる…。
 アナログ思考の典型みたいだが、紙に印刷された辞書と電子辞書の需要の変遷を
見るにつけ、最近では年齢にむち打ってデジタルのノウハウに挑戦している。

 書物の内容と科学技術は幸せな共存・発展が可能なのだろうか。「書誌」という学
問の衰退には心が痛む。けれども、デジタルソフトのプログラマ−には尊敬の念を禁じ
えない、というのが今の正直な気持ちだ。
                                (伊藤雅昭・みやび出版)
 

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「教育」というテ−マのむずかしさ
(NO.235 04年12月)

 大きな書店に限られるが、「教育書のコ−ナ−」がある。図書館でも、図書館分類に
沿った教育関連の図書が並べられている。
 内容は、どこの書店でもどこの図書館でも似たり寄ったりで、教育心理、教職課程取
得のための参考書や問題集、「教育学原論」などの硬い専門書に加え、時々の話題に
なっている「何となく教育に関係のありそうな」売れ筋の図書が付け加えられていると
いう感じだ。
 21世紀の展望は教育の充実が最優先という各界識者のかけ声で、お上主導の学
校・大学改革や外国語教育が先行しているようだが、書籍の充実という意味ではどう
だろう。テ−マや執筆者を含め、読者にソフトを提供する側に問題がありはしないか。
書棚を見るたびにそう思う。
 来年は戦後60年、戦後民主主義も定年を迎える年となる。
 文部省と日教組の対立の図式に慣れ親しんできた世代には、近年の、日常的に繰り
返し報道される子ども・青年がかかわる事件に正対できないでいる。自身の成長過程
で体験してきたことでは消化できない現象にとまどいを感じている。何か解決のヒントと
なる書籍はないだろうか、と一生懸命に背表紙をたどっていく人も多いのではないか。
 一つの提案だが、<偉人伝>を新時代向けに編集し直すというのはどうだろうか。
 野口英世・樋口一葉の新札の人物設定は、何となく「見え見えの復古調」と私など思
ってしまうのだが、編集の仕方次第では、歴史的偉人(意外性も含め)の再発掘は、案
外新時代の活性化につながる可能性はあるのではないかと思うのだ。
 高度成長期を謳歌してきた団塊の世代が、ものごころついたころ最初に与えられた本
が偉人伝だった。そこには、戦後の新しいイデオロギ−「(出自にかかわらず)努力すれ
ばこのような人にもなれる」という現実味のあるスト−リ−が描かれており当事者として
はワクワクしながら読んだものだ。もちろん過去に抱いた懐かしいという感性を、後世代
に押しつけるという意味ではないし、復古調の文体に慣れ親しんでほしいとも思ってはい
ない。あえて今、前向きに生きるヒントとして考えてみたらどうだろう。
 ずいぶん長い間、「教育」という誰もが関心をもつ課題に取り組んできたつもりで、いま
だ同じ回路を逡巡している。熱心さを鼓舞すれば「エゴ」になり、一般論を吹聴すれば「日
和見」となじられる。でも気をつけて観察してみれば、バランスのよい、新時代に適応した
熱心な教育者・教育書は案外多い。
 「硬い教育書」というイメ−ジを何とか払拭したい。図書館・書店の皆さんの積極的目配
りをお願いしたいと思っている。
                                 (伊藤雅昭・みやび出版) 

日本語ブ−ムにひと言
(NO.236 05年1月)

 不況の時代には日本語本が売れる。理由は、1.先行き不安の閉塞感、2.ゆえに伝
統回帰の古典が見直される、というのがこれまでのパタ−ン。今回のブ−ムは、それに
加えて、3.(日本語の乱れはもちろんあるのだが、それ以上に)急激に変化する言葉に
対応を迫られている、4.情報化の波をかぶって平板な言葉が氾濫していることへの危
惧感、5.グロ−バリゼ−ション化による「英語偏重」への防護壁という意味合い、6.忘
れられていた朗読の効用が、斎藤孝さんの『声を出して読みたい日本語』によって見直
された−これらが、21世紀初頭の日本語ブ−ムを解読するおおかたの見方のようだ。
 それだけだろうか、という気持がまだぬぐいきれない。中高年の教養ある識者の説とし
てそれぞれ説得力はあるのだが、最近特に目立つ新聞・雑誌の故事ことわざや四字熟
語のクイズ欄やテレビの教養・娯楽番組のテ−マ設定は、いかにも平板で新鮮さはない。
ブ−ムに便乗しているように思えてならない。
 若年層の言葉の使い方がより洗練されてきたとはとても思えないし、学習指導要領の
改訂で国語の授業時間が減った子どもたちの関心が、格別に日本語に向いているとも
思えない(先日の読解力の国際比較で学力低下が立証された)。ついでに言っておけば、
国語辞書の売れ行きが長期低落を続けていることも気になる。

 私見だが、このブ−ムの背景には、ワ−プロ・パソコンの普及に始まり、今日だれもが
要請されるネット・コミュニケ−ションに有効な日本語表現、いやおうなく表現しなければ
ならない言葉による自己表現の要請が根底にあるような気がするのだ。
 ワ−プロを使い始めたとき、使ったこともない漢字が(思いがけなく)変換され、文章に
「箔」がついたような気がした。辞書との取っ組み合いで手書き原稿を繰り返し推敲する
手間が省けるようになった(個人的には密度は低下したと思っているが)。
 要するに、日本語表現が、より大衆化せざるを得ない状況がある日突然生まれ、その
現象が現在まで持続している。それがブ−ムをもたらしているように思われるのだ。
 もちろん、上記3・4・5の、新しい時代の変化への対応は急を要しているだろう。学力低
下への対策も緊急の課題だ。またそれ以上に、「日本語ブ−ム」の深層には、「揺らぐ社
会・内向する心」という今日的課題が横たわっていることは事実で、中高年の切実な営み
は続けられるだろう。俳句・短歌・民話や昔話、そして自分史なども、やはり言葉の世界
に属する。
 昨年まで勤務した出版社で担当した『生かしておきたい江戸ことば450語』『現代の短歌
−100人の名歌集』『ホトトギス−100人の名句集』『日本昔話百選』などが好評を博して
いるのも故ありと思っている。
                                      (伊藤雅昭・みやび出版)
 

『言語学大辞典』のこと

(NO.237 05年2月)
 

 前回「日本語ブ−ム」について触れたが、世界のことばへの関心についてはどうだろう。
英会話や海外旅行書の類は、書店に溢れんばかりに並べられている。辞典類も、会話集・
単語集などを含めれば、世界の言語人口の大多数を覆ったかに思われる。
 国際化がここまで進んでくると、必要に迫られて学習する人に加え、異文化交流や体験
旅行などの需要も増えているに違いない。メジャ−な「TOEIC」の資格習得に奔走する人
ばかりでなく、少数民族言語の獲得に意を燃やしている人々もたくさんいるだろう。
 直接私が編集に携わったわけではないが、1984年に編集が始まり2001年刊行の別巻
『世界文字辞典』まで、世界全域に滞在する300人の日本の言語研究者の結集の上に完
結した、全7巻・計10,000ペ−ジを超す大著『言語学大辞典』について、この欄で触れて
おきたい。
 専門書ということであまり世間の評判にはなっていないが、世界の諸言語3,500につい
てそれぞれ系統・分類・音韻・形態・統語・方言・語誌・辞書などきめ細かく記述したこの辞
典の存在意義は、画期的かつ普遍的なのもだと確信している。PRの仕事で、10年余りか
なりの数の執筆者・編集者と交流したくさんの余話をご披露頂いた。中でも比較言語はその
まま比較文化となっており、まさにエピソ−ドの宝庫である。
 ほんの一例、数詞について−「フランス語では、97+98というときに、4×20+17足す4
×20+18と言っているわけでしょう」「チェコだってすごいよ、子どもに時間を聞かれたとき、
例えば4時42分なら、あと3分で5時に向かって4分の1が三つと、こう言わなければならな
い」「ラテン語で18,19というのは、20引く2,20引く1なんですね」「市場で符牒があって、
9のことをキワとかガケというんですよ。10に行く前という意味」「アフリカでは産むという数字
が9.子どもが産まれる月という意味ですね」「日本語では、ひい、ふう、みい…とお と、10以
上勘定したらそれ以上勘定できないので外来語を使わざるを得ない」「中国語では、2という
のは特別な数字で10進法と12進法が、神話的基礎の上に併用されている」「日本人の場
合、目は2個で一つの単位だったようです。この頃は目の絵を描けといったら1個描くように
なった。日本人の感覚が変わったんです」−「ぶっくれっと」97号(1992.1月 千野栄一・
石井米雄・中野美代子・西江雅之)より抜粋。
 「もし地球の言語が全部分かれば、人間の言語のユニバ−サルな枠というのが理解でき
る」という編者の夢が、この辞典の完成によって一定方向付けられたのだと思う。この数年の
うちに相次いで亡くなられた三名の代表編者、親しくおつきあいを頂いた亀井孝・河野六郎・
千野栄一の諸先生方のご努力に表意を表したいと思う。
 今後は、この辞典を普及させるための英語訳や、有効なデ−タ活用を強く望んでいる。
                                      (伊藤雅昭・みやび出版)
 

編集者の仕事(1)

(NO.238 05年3月)

 

 「本が危ない」という出版危機をめぐる論評は、21世紀に入る以前から度々指摘されてき
た。関係者の一人として積極的に対策を考えてきたわけではない。時代の変化に応じてそ
れなりの需要は見込めるはずだ、とたかをくくってもいた。でもそれでいいのだろうかという
現実的な問題に、今すべての編集者が直面している。
 これまで思いつくままに、一貫性のないことを書き綴ってきたが、今回からしばらく編集者
の仕事について、私自身のかかわってきた範囲の中で、これまでとこれからという視点で
考えを進めてみたい。「本を選ぶ」の読者には釈迦に説法の感をぬぐえないが、お許しいた
だきたい。
 編集者の仕事といっても、出版社の出す書籍の傾向や、担当する部署の刊行物の内容に
よって随分違いがある。近いと思われる雑誌の編集者と単行本の編集者も、辞書の編集者
と教科書の編集者でも、また文庫と新書の編集者も微妙に違う。専門書を扱うところと実用
書を扱うところ、自然科学書を扱う部署と人文科学や文学を扱う部署でも大きな違いがある
だろう。だから、一律に編集者とはこういうもので、編集者の仕事はこれとこれだとはなかな
か表現いにくい。
 ただ一般的に認知されている(と思われる)ことばで表現してみれば、扱うものは商品とし
ての「紙に印刷された書籍」であるということ。現在置かれた社会環境の中で、自身の表現
したいテ−マを設定し、それを具体的に刊行することにより、何らかの社会的価値を創造・
付加することを義務付けられた存在であること、自身は可能な限り黒子に徹し、著者・編者
や編集協力者、装丁者、校正者、製作関係者、販売・営業関係者、書店などとともに一つの
書物の世界を共有して、市場に働きかけることを課せられた存在であること。マスコミと言わ
れる新聞やテレビ・ラジオのニュ−スや番組が、日々の出来事に軽重をつけて報道すること
をおもな目的とするのに対し、個々の読者の多様な趣向に応じて、限定された書物という形
で個別に対応することを約束された存在であること。
 当然といえばそれまでだが、編集者の仕事(職務)とは、現段階では以上のようにまとめら
れるのではないか。
 現段階ではという保留条件を付けざるを得ないのは、インタ−ネットによるデ−タ画面のソフ
ト情報が現実に商品化されており、ネット編集に携わる編集従事者をどう位置付けるかという
問題があるからだ。これは「読み手より書き手のほうが多い」と揶揄される、表現者の大衆化
ともかかわりが深い。インタ−ネット企業の戦略は、案外短期間で出版業の体質を変えてしま
うかもしれない、との憶測もかまびすしい。
 言い古されたことばだが、「教養」という趣のある概念にこだわりながら、編集者の存在意義
を具体的に考えてみたい。          (伊藤雅昭・みやび出版)

(NO.239 05年4月)

 はるか以前、出版社入社に際して当時の出版本部長から「出版の志」と「大衆性のある
売れる出版物」についてレクチャ−を受けた。岩波書店・小林勇氏のことばからの引用と
三省堂の例が挙げられ、わが社の方向は云々というような話だったように思う。おおかた
納得はできたが、若干の違和感も覚えた。
 入社以前は、編集者を志した以上、だれもが自己実現のための企画展開にこだわりを持
っているかと思っていたが、全体的な印象はそうでもなかった。こつこつと年月をかけて一
語一語と格闘していく辞書編集、三年の周期で改訂が行われる教科書編集という社の性
格もあったのだろう。おおらかな社風だと思った。
 新分野開発の部署に配属され、直属の上司には「君の考える企画を思いつくまま出して
くれ」と言われた。編集者の卵にとっては戸惑いつつもうれしかった。戦後民主主義はなや
かなりしころに鍛えられたベテラン編集者の姿は、颯爽として頼もしく感じられた。
 開発の部署では、試行錯誤の結果、一つの柱として幼児ものを手がけることになり、いき
なり大作「幼児教育の百科」を担当することになった。早期教育の是非についての論議は
現在も盛んだが、幼児の発達段階に応じて学習カリキュラムを組む方式は当時としては新
しい試みで、ピアジェの認識論をヒントにしたものだった。「幼児は自由に伸び伸び育てる」
派との論争もずいぶんやった。全国のモデル幼稚園・保育園を回って園児の絵を一枚一枚
撮影したり、編者グル−プの講演の案内係やスライド映写も担当した。入社した1970年の
6月に編集開始、幼児教育の加熱を見込んだ新学期に合わせ、翌年の3月刊行が決まっ
た。編集期間は約8ヶ月、突貫作業だ。あこがれの先輩、女性編集者のSさんに手取り足取
り教えられながら月100時間の残業をこなして、私の担当第一作『母と子を結ぶ幼児教育
の百科』がやっと完成した。AB判(婦人雑誌の大きさ)、736ペ−ジ(カラ−別丁付き)、特
価(期限付き)3,500円。厚手のコ−ト紙で重さが約3.5キロあり、落としたらけがをするの
ではないかと心配する向きもあった。
 若気の至りというのか、体力にまかせて肉体作業をやりきったという印象で、充実感は味
わったが、内容については全く自信がなかった。先輩たちから、君は恵まれている。入社一
年目で、著者交渉から現場(幼稚園・」保育園)取材、一通りの事典の編集作業に加えカラ−
ペ−ジまでこなし、営業活動にまで参加したのだからと激励された。事実、宣伝部長と広告
代理店の担当者を含め、宣伝のための講演旅行で編者に随行して東海道沿線の都市を5
日間回った。入社直後というのは、見るもの聞くものすべてが新鮮で、この旅行のことはよく
思い出す。長良川の鵜飼いの幻想的な風景はとくに印象深い。
 大宣伝のおかげで、その年はよく売れた。だが岩波書店のロングセラ−『育児の百科』も
また安定した売れ行きを示していた。                  (伊藤雅昭・みやび出版)

新米編集者のころ

編集者の仕事(3)

編集者の仕事(2)

(NO.240 05年5月)

 1974年、社がまさかの倒産をした。安定した教育出版社というイメ−ジがあっただけ
に、ショックは大きかった。開発の部署から新書の編集部に回された直後のことで、しば
らく本作りはあきらめざるを得なかった。
 約半数が、希望退職を受け入れて退社。有能な編集者も多数社を去っていった。伝統
も信用も資本の論理にはかなわない。会社更生法の適用を受けて、元の状態に戻るま
でに10年かかった。
 その間私は、宣伝部でPR誌の編集に携わった。雑誌作りの経験もノウハウも全くなか
ったが、それだけに新鮮でおもしろい仕事だと思った。毎号著名な学者や作家・評論家な
どに登場いただいて、座談会や対談を組む。もちろん企画の宣伝媒体という性格上、テ−
マは毎回異なるのだが、お一人お一人の学識に加えて人間性が伝わってくるのがたまら
ない魅力だった。座談が終わって一息つくときの会話が、また何とも楽しい。
 速記録を編集する作業は、傍目でみるよりずっとむずかしいことを身をもって体験した。
当初は、手書きで3回くらい書き直した。発言の真意をできるだけわかりやすく、ふくらみ
を持たせて表現したいと努力した(そこまでは言っていないとクレ−ムが付いたこともあっ
たが)。
 経験上、雑誌作りのポイントは二つあるように思う。
 一つは、特集を組む場合のテ−マ設定と執筆者の組み合わせの問題。私の場合、ある
テ−マに対しては、正論を出すと同時に必ず強力なアンチ企画を用意してテ−マの広がり
を考えるようにした。執筆者の個性によっては主張が逆転するような場合もある。編集者
の自己主張は最低限に抑えなければならないから、そこをどう取り持つかが編集者の腕
ということになる。
 もう一つは、10数本から20本におよぶ多彩な原稿をどう組み合わせ、配列するかとい
う問題。時々の時代風潮や話題の人物を強調することは当然としても、他の企画への配
慮をおろそかにしてはならない。ペ−ジは少なくても、工夫をこらしたいくつかの連載・筆
先鋭いコラム欄などはその雑誌の個性を決める。記事の配列に、一般的傾向はあっても
ル−ルはないのだから、私の場合 遊び心を持ちながら「ピタリと決まる」まで時間をかけ
て考えた。
 30歳でこの雑誌にかかわって、記念すべき100号にたどりついたときは、すでに40代
半ばとなっていた。
 一号一号の積み重ねも、習慣になってしまえば時間の経過は驚くほど早い。物事を考え
る際の血となり肉となっているかは、今は何とも判断できない。
 そのPR誌を卒業して単行本の部署に異動したとき、バブルがはじけた。今思えば、よき
時代だった。
                                (伊藤雅昭:みやび出版)

楽しかったPR誌作り

 単行本編集 上

 (NO241 05年6月)

 1992年、17年間の宣伝部生活を終え単行本の部署に異動した。
 一般書編集室というこぢんまりとした編集部で、構成員はいずれも団塊の世代。うるさが
たが揃っていた。
 前回取り上げたPR誌の連載がいくつか適当な分量になっていたので、まずそれらの単
行本化を目ざした。宣伝部時代からの連載の単行本化は、数え上げてみるとずいぶんな
数になる。
 刊行順に、『犯罪症候群』(別役実著・以下「著」略)・『旧約聖書物語』(山本七平)・『新・
家族論』(羽仁進)・『ドストエフスキ−のペテルブルグ』(後藤明生)・『日本と中国』(吉田
光邦)・『当世病気道楽』(別役実)・『40才からの老いの探検学』(上野千鶴子)・『寅さん
がタバコを吸わない理由』(大室幹雄)・『夜明けを待つ政治の季節に』(秋葉忠利)・『辞書
のはなし』(三省堂編修所)・『花橘をうゑてこそ』(横井清)・『エロスの世界像』(竹田青嗣)
・『世代の考現学』(三省堂編集部)・『日本のかたち・アジアのカタチ』(杉浦康平)・『本と
私』(三省堂編集部)・『言語学への開かれた扉』(千野栄一)・『キ−ワ−ドで探る21世紀』
(三省堂編集部)……まだいくつかあるが省略する。
 書き手には比較的恵まれたように思う(上記書名の約半数が重版となった)。ただ以前記
述したように、出版社には扱う出版物の得手不得手がある。辞書・教科書中心の営業体質
はいかんともしがたく、また既にバブル崩壊の影響も出始めて取次配本の規制も厳しくなっ
ていた。当時はまだ企画成立の条件もゆるやかで 企画会議でボツになることは少なかっ
たが、結果として編集者の思いがはずれることも多かった。
 ここで、単行本が刊行されるまでのおおまかな編集者の仕事について述べてみる
 企画立案−取材・著者打診−企画書作成(書名・著者・判型・ペ−ジ数・予価・部数・販売
対象など)−企画会議(了承)−著者正式依頼(催促)−入稿(読み・修正)−送稿−造本・
装幀依頼−校正(初校・再校)−刊行−PR原稿作成・書評依頼・広告チェック
 編集者の仕事の中で最も重要なのは、もちろん企画立案・著者交渉の段階だ。経験上、
編集者のアイディア(ひらめきと言ってもいい)が、著者の思いとピタリはまったときはほぼ
成功し、話し合いの過程で修正に修正を重ねた企画は失敗が多いことを実感している。そ
れでも以前「ベストセラ−は、編集者が筋書き通りに著者を動かすことで生まれる」と懇意
のベストセラ−作家から指摘されたことがあり、つい最近も「売れる本は編集者が(ことば
は悪いが)でっちあげるものだ」と、これも3年前ベストセラ−を出された尊敬する言語学者
から助言を受けた。人生の機微を極めた達人の言葉だけに、今も印象に残っている。
 当時一般書編集室の団塊の世代は、厳しい中現在も活躍中である。単行本の編集者の
仕事については次号でもう少し深めたい。
                                (伊藤雅昭:みやび出版)

編集者の仕事(5)
単行本編集 下

(NO.242 05年7月)

 企画を立案し、著者交渉がスム−ズに進んだところで、企画書の作成にかかる。いくつ
かポイントがあるが、「説得力のある書名」が第一、次に定価・部数、(内容の概説はほど
ほどにして)最後に、営業部・宣伝部をいかに説得するかということだろう。これらは企画
会議の場で論議されることになる。
 通常の出版社は、企画会議を二段階に分けて設定しているようだ。
 一回目は、企画の妥当性−当社が刊行する意義があるか、市場価値があるか、加えて
書名・読者対象とおおまかな部数・定価の論議が行われる。ここで了承されればよほどの
ことがない限りボツになることはない。二回目は、刊行のほぼ一ヶ月前に書名・定価・部
数と刊行日を確認する。
 書名は編集者の思いを一番伝えたい材料だから、どうしても凝りたくなる.担当した『夜
明 けを待つ政治の季節に』(秋葉忠利著=現広島市長)や先輩編集者の例を挙げて恐
縮だが、『愛と鮮血』(新書・山崎朋子著)などは編集者の失敗例。思いだけが先行して、
何を主張したいのかよく分からない。『永井荷風ひとり暮し』(松本哉著)・『クイズ新明解
国語辞典』(武藤康史編著)・『橋本治が大辞林を使う』(橋本治著)などは、気に入ってい
る数少ない例だ。
 企画会議で了承されれば、著者への正式依頼、原稿催促の段階となる。著者にもいろい
ろ個性があって臨機応変に対応することが必要だ。期限通りにすんなり完全原稿を頂ける
ことはあまりない。売れっ子著者はもちろん、執筆の過程で推敲に推敲を重ねられる方もい
て、そういう著者には日々のお付き合いが欠かせない(個人的には、夜のご接待は少ない
ほうだと思っているが)。
 無事入稿となれば、ペ−ジレイアウト、原稿整理、写真・図版類の指定、印刷所送稿と続
く。校正が出る間を利用して装幀を依頼する。本の世界でもビジュアル化が進んでいるか
ら、装幀・造本には気を抜けない。案外編集者のセンスが最も問われる工程なのかもしれ
ない。印象に残っているのは『日本のかたち・アジアのカタチ』(杉浦康平著)、『東京わが町
宮神輿名鑑』(原 義郎 撮影・編著)。後者はヒロ工房の造本・装幀で、江戸小紋を配した
布製の表紙で造本コンク−ルの東京都知事賞を頂いた。思い出深い豪華本だ。
 校正は、単行本の場合ほとんど初校・再校と二回の校正で責了とする。著者には初校の
段階でお見せする。もちろん編集者一人の校正では心許ないから、専門の校正者に依頼
することになる。日本語の表記の基準は案外あいまいで、原則と著者の表記が矛盾するこ
とがある。そこを調整するのが編集者のもう一つの腕の見せ所というところだろうか。
 刊行後は、PR原稿の作成、書評依頼、広告チェックくらいが編集者の仕事だ。あとは営
業・販売・宣伝部の活動にお任せすることになる。
 次回は、復刻本・ギフト本などの経験に触れたいと思っている。
                                (伊藤雅昭:みやび出版)

編集者の仕事(4)

編集者の仕事(6)
復刻本・自費出版・ギフト本

(NO.243 05年8月)

 単行本の編集にいそしむ一方、関連した編集業務にいくつかかかわることとなった。
 一つは、周年行事としての復刻本の編集である。
 とにかく明治14年創業の会社であるから、ロングセラ−には事欠かない。120周年を
記念する復刻本の選定には苦労した。社員はもとより関連会社(書店・印刷等)の社員も
含めアンケ−トを行った。採用された書名には郷愁を抱かれる人も多いのではないか。
 『袖珍コンサイス英和辞典』『同和英辞典』『明解国語辞典』『キングズクラウンリ−ダ−』
『金田一中等国語』などの辞書・教科書の古典に加え、『私の生涯』(ヘレン・ケラ−)『百
間座談』(内田百間)『心の小道」をめぐって』(金田一京助)『選挙法大意』(美濃部達吉)
『スポ−ツを語る』(鳩山一郎)などの単行本の名著もある。
 活字や紙型はもちろん残っていないから、貴重な本の現物を版下にして製版を行った。
 「古さが新しい」という感覚をここでも味わった。現代人の表面的趣向に奥行きを与える
のに「復刻本」は格好の材料かとも思う(差別表現の問題で『百間座談』が日の目を見ら
れなかったのは残念だったが…)。中身が軽くなる一方の読書市場に、活字を大きくした
り、造本・装幀に工夫を凝らしたりして良書を復活させる努力は、これからもきっと新しい
需要を呼ぶはずだ。周年企画の単行本はオンデマンド印刷で限定本とした。さすがに当
時はコピ−に毛の生えたという程度のできばえだったが、近年のオンデマンド技術をもっ
てすれば市場価値はもっと増すだろう。
 次は、自費出版。
 ここ10年ほどで、この市場は飛躍的に伸びた。初期のころは、大手の新聞社・出版社
の社員の高齢化対策のような位置付けがされていたようだが、新鋭出版社の大宣伝・
大営業戦略で、今や大新聞の全5段広告を席巻する勢いだ。高齢化とワ−プロ・パソコン
の普及で、自分史やライフワ−クへの関心が需要を支えているようだ。私自身の経験で
は、高齢学者の学会発表をお手伝いするような出版物を担当した。
 この分野にかかわる編集者は、読者への配慮よりも、著者=依頼主との密接なコミュニ
ケ−ションが仕事のポイントだ。もちろん費用や刊行日程等の制約もあるから、希望通りの
刊行物にするのはなかなかむずかしい。ねばり強く話し合いを続け、著者との信頼を得るこ
とが肝要。資金目当てに賞などを乱発する商法は、出版の将来につながらない。
 「ギフト本」とは、社の出版物を法人や個人の記念行事(事業)に合わせ、一定部数以上
を値引き販売で買い取ってもらうシステムだ。結婚式や卒業記念には辞書などは格好の引
き出物だった時期がある。「冠婚葬祭」や「マナ−」などにも楽しくかかわった。しかしバブル
の崩壊は、この市場にも大きな打撃を与えたようである。
 この分野の編集者の仕事についての子細は、機会があれば ということにしたい。
                           (伊藤雅昭:みやび出版)



編集者の仕事(7)
餅は餅屋?

(NO.244 05年9月)

 前回まで、30余年を過ごした出版社での体験をもとに、編集者の仕事のいくつかを紹介
させていただいた。今回は、今現在行っている私自身の仕事について、PR過剰にならな
い程度に述べてみたい。
 昔から「机と電話一本あれば出版社はできる」と言われたものだが、今はそれにパソコ
ン・プリンタ−とFAXを加えればハ−ドウェアは十分だ。もちろん会社組織にするのだから、
一定の運転資金は必要だし、税制の知識や運用のノウハウについても そこそこの勉強
はしなくてはならないが…。
 問題は、どんな出版物を刊行し、いかに持続的な展開が可能かということだ。
 私が小さな出版社を作ろうと思い立ったそもそものきっかけは、自身3年半後に迫った定
年後の暮らし方に全くイメ−ジが持てなかったことにある。
 団塊の世代の定年退職が今大きな話題となっているが、「団塊」という言葉は鉱物用語
で、「大きく固まった存在」という意味のほかに「周囲と異なる特質を持つ」という意味があ
ることを最近になって知った(堺屋太一氏・「文藝春秋」05年4月号)。焼け野原に産声を
あげ、すし詰め状態の教室でお互いに競い合い、大学時代はヘルメットに青春をかけ、サ
ラリ−マンになってからは、高度成長の波に乗って企業戦士として活躍した世代が、今規
制緩和やグロ−バリゼーションの波を受け、静かに表舞台から降りようとしている。
 700万人(昭和26年生まれを加えて1,000万人)の退職者はどこへ戻るのだろう。粗
大ゴミ・濡れ落ち葉と成り果てるのだろうか。周囲と異なる経験と特質を持った世代は、長
い老後をどうしたら自分らしく生きることができるのだろう。
 ヒマをもてあます生活よりは、この問題を同年代の人たちと共に考えていきたいと思った。
それには定期刊行物が必要だ。この欄の初回に触れた隔月刊誌「myb」(みやび通信)は、
以前担当したPR誌をややシニア向けにアレンジしたもので、既刊の特集テ−マは以下のよ
うなものだ。
 創刊準備号「50代からドラマは始まる」、創刊号「自分以外はバカの時代か?」、2号「あ
こがれの隠居」、3号「シニアシングルライフ」、4号「さみしさの風景」、5号「サラリ−マンの
定年デビュ−」、6号(近刊)「高等遊民的生き方」。
 連載は、風俗時評・食文化・ことば・俳句・短歌・下町散歩・ライフワ−ク・昔話など趣味や
生活に密着したものを取り上げ、読者にゆったりと楽しんでいただきたいと思っている。書き
手は、長年お付き合いのある先生方を中心に、少しずつ新しい執筆者にも参加いただいて
いる。
 餅は餅屋?−もちろん、長年経験してきた単行本や自費出版の仕事からも離れられず
苦闘の毎日だ。
 次回は、編集者のこれからという課題を考えてみたい。
                                     (伊藤雅昭:みやび出版)

編集者の仕事(8)
編集者のこれから 上

(NO.245 05年10月)

 今、1983年刊行の<出版電子化時代>という雑誌連載の記事を読み返している。
 その最終回に「ニュ−メディアの将来と出版」と題する博報堂のメディア開発局長の論考
がある。この年は、世界コミュニケ−ション年とされ、ニュ−メディア元年と謳われていた。
当時は「ファクス」「キャプテンシステム」「ビデオディスク」がやっと実用化された時期で、こ
の論考には日本におけるその後の開発スケジュ−ル、例えば文字多重放送・双方向CA
TV(ケ−ブルテレビ)・INS(高度情報通信システム)などの実用化の青写真が克明に記さ
れている。
 出版・印刷にかかわるところでは、大手印刷会社の開発担当者の講演「もう印刷は工場
でする時代ではない。末端のユ−ザ−がその場でプリントアウトして使う時代だ。印刷とい
う商売は、出版という領域では間もなく(売上の)2,3%になるだろう。われわれははっき
り情報分野に入ろうと思っている」を引用して、新聞も、編集されたものを工場の代わりに
家やオフィスで印刷されるようになるだろう、と予測している。
 現実とは異なる部分もあるが、当時私はこれを読んで仰天した。同時に、このような高度
な技術革新は、ソフト提供者としての編集者の領域には影響は少ないと思ってもいた。
 しかしその後のバブル景気による大衆化社会の進展、「パソコン」「多機能携帯電話」の
普及、そしてなによりインタ−ネットが社会を、人々の生活を揺さぶることとなった。インタ−
ネットが一般化したことは、一方で世界全体を同一原理で結ぼうとするグロ−バリゼ−ショ
ンの進行を意味し、もう片方では逆に、情報量の増大にともなう無数の選択肢が生まれ、
多様化した価値が社会を覆うことを意味する。したがって既存のメディアも、個々の需要や
好みに対応する変革が求められることになった。
 もちろん出版も例外ではない。書店にはCD、ビデオ、DVD、電子出版のコ−ナ−がかな
りの面積を占めるようになり、読者の趣向に合わせた専門雑誌、ムック、コミック、単行本で
はすぐに役立つ実用廉価本が所狭しと並べられるようになった。20代の芥川賞作家が登場
し、くったくのない明るさをもつ作品がベストセラ−となっている。そして最も気になるのは、
アカデミックな学問の権威がずいぶん低下し、文学や人文科学の いわゆる古典や教養書
の影が薄くなった印象が強いことだ。
 出版社の側も、バブル後の景気の低迷で管理強化が進み、効率主導の経営は「質」より
も「儲け」を優先するため、良質な本作りへの意欲が減退している。編集者がサラリ−マン
化し、著者と一度も顔を合わせないで一冊の本ができてしまうという笑えない現実もある。
編集技術のコンピュ−タ化が進み、編集プロダクションに一切を丸投げする傾向も顕著にな
っている。
 グ−テンベルグの活版技術の発明以来という大変革期に、出版の原点とされる「教育」
「啓蒙」「記録」「保存」「継承」という課題に、編集者はこれからどう取り組んだらよいのだろう。
                                     (伊藤雅昭:みやび出版)

編集者の仕事(9)
編集者のこれから 下

(NO.246 05年11月)

 ライブドアの日本放送株取得騒ぎが一段落したと思ったら、今度は楽天によるTBS株の
買い占めが話題になっている。以前この欄で、ネット企業の戦略が案外短期間で出版業
の体質を変えてしまうかもしれないとの憶測があると記したが、とりあえずのタ−ゲットはマ
ス媒体としての放送局のようだ。ネット産業はパソコンや多機能携帯電話を通して、巨大な
コンテンツを個別に提供することで多様な価値の受け皿となってきた。テレビ・ラジオ局は、
日々の情報の中から全国の市場を意識して番組編成をし、公共放送という形で視聴者に
提供している。企業文化や歴史の違いは今のところ大きいし、株の大量取得という方法に
問題を感じるが、近い将来何らかの融合の動きが出てきそうだ。新しいメディアの登場で、
放送・通信にかかわる「編集者」の活躍の場が広がるかもしれない。
 さて出版のこれからだが、そもそもの原点である「教育」「啓蒙」「記録」「保存」「継承」とい
う役割に変化はないだろう。記録・保存・継承という面では、デ−タ処理技術の進歩で、時
間・スペ−スの省力化が格段に進んだ。教育・啓蒙という面では、何といっても学校と図書
館との関係が基本だ。「子ども・学生が本を読まない」現象は年々際立ってきており、教育
改革も「ゆとり」と「学力低下」の間を逡巡し、一向に方向が定まらない。一方、図書館の利
用状況はいかがだろう。文化施設としての活用など含め、地域・高齢化社会の受け皿とし
ても今後大いに期待できるのではなかろうか。いずれにせよ、出版も今日の社会・文化状
況を写す鏡の一つであるから、独立独歩といくはずもない。
 ところで、出版というジャンルはもともと、良くいえば奥行きのある、悪くいえば得体の知れ
ない曖昧なところがある。零細企業が圧倒的に多く、出版社の性格も本の内容も硬軟とりま
ぜて多様かつ豊饒、読者もそのキャパシティを楽しんできたように思う。その意味では、最
近の改革・規制緩和、安心と安全、白と黒とを決めたがる−殺伐とした風潮への緩衝地帯
としての役割が期待できるのではないか。ゆっくり本でも読んで先のことを考えよう、と。
 最後に、個人的意見だが、これからの編集者の仕事についていくつか挙げてみる。
 まず、多様化する読者の趣向に対応した新鮮な企画を発掘する(言うは易しだが)。次に
教養書(古典)を見直す。教育現場での教材に古典が本当に少なくなった。ことばブ−ムに
便乗するばかりでなく、文学・歴史・哲学等 見直す価値のある教養書は多い。これはもちろ
ん中高年市場にも当てはまる。それから、書き手市場への積極的働きかけ。ワープロ・パソ
コンの普及で一般の人の表現志向が飛躍的に伸びた。「自費出版」「テキスト」に加え手作
りの本をライフワ−クにしている人もいる。最後に、これは全く私的希望だが「読者が、蔵書
としていつまでも残しておきたいと思うような”作品”」を作ること。
 戦後60年。戦後が定年を迎えたのを機に、また新たな一歩を踏み出したいと思っている。
                                                    (完)
                                    (伊藤雅昭:みやび出版)